鎮守の社・砂原稲荷神社

神は人の敬いにより威を増し 人は神の徳によって運を添う

砂原稲荷神社
◆御祭神 宇迦之御魂神・綿津見神・市杵島姫神(弁財天)
◆五穀豊穣・大漁満足・商売繁盛・家内安全
◆例祭日
 7月15日 宵宮祭
 7月16日 本祭
 7月16・17日 神輿渡御祭
◆住所
〒049‐2222 北海道茅部郡森町字砂原4丁目33

宇迦之御魂神
『古事記』では素盞嗚尊の御子神とされております。
また、豊受大神と同一神であるとの説もあります。稲魂の神とされ、五穀豊穣の神であります。稲は命の根を表し日本人の心の象徴であり、自然の恵みを通じて収穫を神に捧げる祭りの心、自然との共生、相互扶助の精神が育まれ生かされている、ということを教えてくださいます。
人々に豊作と福を授ける神と崇敬され、商工業が盛んになると商売繁盛の神、また漁村では漁業の神としても広く信仰されております。
世にお稲荷さんと親しまれ、人々の暮らし衣食住を司る神であります。
五穀豊穣・大漁満足・商売繁盛・家内安全

底津綿津見神・中津綿津見神・上津綿津見神
伊邪那岐命が黄泉国から戻り、その穢れを祓うために禊をしたときに出現れた神々。綿津見神は海の神であり海底・海中・海表の三つの航路を守護する航海守護の神。古来より星を航海の目印とし、星を崇め奉る星神信仰・金星信仰があり、人々を導く道開きの神とされます。また、禊祓の神であり人々の罪穢れを祓い清める神でもあります。
航海安全・漁業繁栄・危除開運・事業繁栄・病気平癒

市杵島姫神(弁財天)
 天照大神と素盞鳴尊が行った誓約において出現された女神で、 水の神・海の神・道の神として崇められます。七福神の弁財天としても信仰され芸能や商売の神ともされております。
商売繁盛・芸能芸術・安産・航海安全・交通安全

稲荷山杉のむらたち多けれど 中なる杉は稲荷杉かな
稲荷山更けゆく杉の木の間より 光絶えせむ道のともしび

駒ヶ岳を背に噴火湾を見渡す清丘に鎮座する砂原稲荷神社は、茅部郡森町砂原地区(旧砂原町)の開拓の先人である蟹田村の権四郎が、鰊漁業のため魚夫と共に砂原の地に来住した際に、故郷の石浜稲荷神社の御分霊を勧請し創祀したのが始まりとされ天分5年(1536年)と伝えられております。
文化5年(1808年)に新谷主並が城州紀伊群稲荷本宮伏見稲荷大社より御分霊を勧請する。明治の時代には村社の列せられ昭和3年神饌幣帛供進神社に指定される。昭和51年8月に社殿を新築し現在地に移り、平成28年7月に御鎮座四百八十年記念奉祝大祭が斎行される。
先人達が厳しい自然環境の中で開拓の守護神として朝夕に感謝の祈りを捧げられ、砂原の歴史と共に歩み今も変わらぬ鎮守の社として、氏子崇敬者の皆様の篤い信仰を受け今日に至ります。

掛澗稲荷神社
◆御祭神 宇迦之御魂神・事代主命    
所在地
〒049-2221 北海道茅部郡森町字砂原西2丁目77番地
◆例祭日
8月18日 宵宮祭
8月19日 本祭
8月19日 神輿渡御祭
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寛延2年(1749年)8月8日南部で出生した宮古村の巳之助が、一家六名と移住の際に、故郷の産土大神である事代主神命の神像と神号入りの霊石を勧請し、漁業航海の守護神として創祀したことが始まりと伝えられております。後に文化13年(1816年)稲荷大神も併せ祀り、村民一同の願いとして掛澗の里の鎮守稲荷社となり、文政4年(1821年)に神祇官卜部良長より正一位稲荷大明神の位を授与される。明治9年7月には村社に列せられ昭和4年に神饌幣帛供進神社に指定される。昭和11年には現在の社殿に改築される。
神社に残されている棟札には、特に掛澗地区の祭礼が賑々しく執り行われたていた事が記録されております。先人達が目に見えないものへの敬いの心を大切にされて里造りを行ってきました。その精神は親から子、子から孫へと受け継がれ、現在も鎮守の社として氏子崇敬者の皆様の篤い信仰を受け今日に至ります。

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