駒ヶ岳と内浦湾

駒ヶ岳
秀峰駒ヶ岳は砂原岳・剣ケ峯・隅田盛の総称です。
森町・鹿部町・七飯町にまたがる標高1,131mの活火山で江戸時代には内浦岳、渡島富士とも呼ばれておりました。かつては富士山のような円錐形の1,700mほどの火山でしたが、寛永17年(1640年)の大噴火により現在の形になったと伝えられております。
駒ヶ岳は見える角度によりさまざまな表情を見せますが、砂原方面より仰ぎ見る駒ヶ岳は雄々しく渡島富士とも呼び、羊蹄山(蝦夷富士)・利尻山(利尻富士)と蝦夷富士三山と呼ばれ、駒ヶ岳・羊蹄山・利尻山は一直線上に位置し、風水などではレイライン(龍脈)と呼ばれるエネルギー(氣)の通り道とされております。駒ヶ岳を背に内浦湾・羊蹄山を眺望する清丘に鎮座する砂原稲荷神社はレイライン上に建立されていると云われています。古来より駒ヶ岳は神の聖域と信仰され、先人達は現代人に失われた目に見えない力を肌で感じる感性をもち、自然の森羅万象に宿る神々に感謝の祈りを捧げて里造りを行ってまいりました。
また、駒ヶ岳の周辺は漁業・農業ともに盛んで、そこから流れる清流は山の豊かなミネラルを海へと運び、内浦湾(噴火湾)では良質なプランクトンがとても多く恵み豊かな漁場を作り出し、火山灰の水はけの良い土壌からは良質な農産物が収穫されます。

内浦湾
内浦湾(噴火湾)の入り口にあたる森町砂原地区(旧砂原町)は、内海外海に出漁の便が良いため、沿岸でも最も早く倭人が定着していきました。
海に面した砂原の歴史は、漁業の歴史だといっても過言ではありません。
1330年代にはすでに昆布の採集が行われ、倭人の往来が賑やかになる1560年頃は、アイヌの人々と共に春の鰊、夏の昆布の漁が盛んに行われていました。
現在は、スケトウダラ・養殖ホタテの産地と知られ、親潮海流と対馬海流(津軽暖流)という太平洋・日本海の二つの異なる海流が流れ込み、加えて湾を囲む駒ヶ岳等の山々より豊富な養分が河川から運ばれる内浦湾は、1年を通じて様々な魚介類が水揚げされる豊穣の海です。
毎年9月に砂原漁業協同組合主催により、砂原地区(旧砂原町)の大漁満足・航海安全を祈願し海上神輿渡御祭を始め2日間に亘る神事が斎行されております。

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